白い家
【 かなしいゆめのあと 】
The theme of this story is moral harassment
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Novel
薄いオレンジ色の壁紙が一面に張りめぐらされているそこは、すでに柚菜のために用意してあるのか、家具は一切置いていない。
ガランとした部屋の窓は換気のために半開きになっていて、ちょうど庭が真下に来る配置になっているようだ。バラの香りがかすかに薫ってくるのだ。
開けたドアから見て、右の壁には、据え付けのクローゼットがあった。これも湿気予防のためか、扉を少し開けてある。
「主寝室と、下のリビングは南向きで、とっても明るくて暖かいんだけれど、こっちは北向きなんだよ。夏は涼しいんだけれど、冬は寒いのが難点。」
隆仁の言うとおり、バラの香りにうっとりしていた柚菜は、初夏とはいえブルッと寒気がはしったくらいに、部屋はヒンヤリとしているに気付く。
同じ家の中とは思えないくらいに、下のリビングとは温度差があるのだ。
「大丈夫?寒い?」
肩を抱いた柚菜を見て、隆仁があわてて部屋を横切り、窓を閉める。
「ありがとう。でもそんなに寒くはないわよ。下とはあまりに温度が違うから、びっくりしただけ。」
せっかくバラの香りがするのに…。と、柚菜が窓を開けてと身振りで手を振るが、隆仁には伝わらなかったらしい。ニコニコ顔で、
「柚菜ちゃんは、この部屋をどう変える?」
と聞いてくるのだ。
「どう変えるって言われても…。」
いきなり言われても、戸惑ってしまう。
「そうだね。急に言われても、戸惑ってしまうよねえ。」
隆仁も、言った後で、頭をポリポリかいて、困ったようだ。
それからは言葉が続かない。ちょっとした沈黙の後、
「すてきな部屋よ。どうするかは、これから考える事にするわ。」
柚菜は、体をグルッと回転させて、言った。
(自分の部屋よ。自分の!)
テンションが上がらざるをえない。今住んでいる1DKの団地では、いまだに母と同じ部屋で寝起きし、柚菜のプライバシーなんてなかったのだ。
(何をどうやって置こうかしら。)
と、思ってから、これくらい広ければ、ベットを置くスペースがあるのに気付く。柚菜は自分のベットを持っていなかった。
「隆仁くんの部屋も、これくらい広いの?」
振り返って隆仁を見やると、彼はぼんやり柚菜の方を見ていた。いきなり話しかけられて、びっくりしたのか、軽く後ろに仰け反ると、
「え?あぁ。広さね。一緒だよ。」
と、目をパチクリさせて答えてくる。
「もちろん、ベットも置いてあるよね。」
さらに問いかけると一瞬、彼は質問の意味が分からなかったのか、
「置いてあるけど、それが何?」
と、いぶかしげに聞いてくる。彼の生活の中で、ベットで寝起きするのは当然の事として、頭の中にあるのだろう。
「私、持ってないの。でもこんな部屋には、ベットを置きたい。」
思わず感情のままに話して、アッと口を押さえるがもう遅い。しかしそれを聞いた隆仁は、承知した顔をして、微笑んでくる。
「ベットぐらい買ってくれるよ。何なら、机から何から全部買い換えたらいいよ。お父さん、今はテンション上がっていて、話し時だからね。俺だってパソコンの周辺機器を買ってもらうんだ。」
「そんな・・。でも・・。」
悪いからいい。と続ける事ができなかった。家のリフォーム計画のどさくさにまぎれて、買ってもらうのも、いいかも知れない。と、欲が出たのだ。
そこでタイミング良く、彰彦達がやってきて、
「この部屋、ゆずの部屋なの?いいじゃない。」
と、言いながら母が部屋の中に入ってきて、鼻をひくつかせる。
「なんだか、花の香り?」
と、疑問を投げかけると、隆仁が
「真下が庭なんです。天気と風向きが良かったら、上まで香りが昇ってくるんですよ。」
と、答えると母がパッと顔を輝かせた。
「すごいじゃない。ゆず。天然の芳香剤よ。」
と、母が柚菜に言うと、笑いのツボに入ったのか、彰彦と隆仁が二人して笑う。
「何?私、今変な事言った?」
戸惑う母の肩を、彰彦がポンと叩く。
「いや別に変じゃないよ。芳香剤っていう発想が良かったんだ。」
「そうじゃないの?」
「そうだね、芳香剤だよ。」
彰彦と言い合う母の表情は、この上なく明るい。ほんのり頬を上気させ、未来の夫を見つめる母は希望にみちていて、とても美しかった。
家のリフォーム計画は、母の満足のいくものだったらしい。
「柚菜ちゃんが、この部屋に合う家具を、選びたいらしいんだけれど。」
隆仁が、彰彦に言っているのにふと気が付く。あわてて何か弁解しようとする柚菜に、
「ああ、この際新しく買ってもいいよ。柚菜ちゃん。でもあまりに高級な家具は勘弁だよ。」
と、彰彦が言うのに、柚菜は
「もちろんです。」
と、答えてしまう。母は少し顔をふくらませ
「まあ、柚菜。元の家にもあるのに。ちゃっかりしてるんだから。」
と、言いながらも目は笑っている。
柚菜の部屋の件は、それで決まった。
「良子さん。こっちきて。向こうの部屋が、僕たちの部屋になるんだよ。」
彰彦の一言で、全員がゾロゾロ歩き出す。
その後、柚菜達は、まだ彰彦だけが寝起きする寝室をのぞいて、母をさらに喜ばせることになった。
主寝室だけあって、たっぷり空間をとってある部屋は、シックな色合いの壁紙がはりめぐらされ、すっきり整理が行き届いている。
ベット一つと、前妻が使っていたと見られるナイトテーブルが一つと、部屋の奥には、彰彦が、家でも仕事をしているらしい書斎のみ、余計なものがない。そのせいで広さが際立たされていた。
彰彦は母に、寝室の家具の相談をし、次回会うときは、さらに話を詰める事が決まった。
そうして、あっという間に時間が過ぎてゆく。新しく家族になる四人にとって、最高の一日が終わったのだった。
自分達の家に戻った柚菜達は、お互いに感想を話しあうのに夢中で、興奮して眠れない。それでも布団の中で、ひとしきり話した後には、疲れもあってか徐々に眠たくなってくるのだった。
頭がぼんやりして、会話も途絶えがちになり、気が付くと母は寝息を立てていた。
柚菜は一人、見るともなしに天井の照明を見つめていると、心の奥底から何かおかしい。と、訴えかけてくるものがあるのに気付くのである。
(何がおかしいのかしら。)
思いもかけず、幼い頃に亡くなった、女の子の仏壇があった事なのだろうか。
(いえ、違うわ。その事じゃない。)
何がおかしいのだろう。
バラがたくさんあった庭のこと。家政婦がいたこと。家の中が綺麗に片付いていたこと…。彰彦の様子。母の笑顔。
柚菜は、今日一日あったことを反芻してみるが、喉の奥につっかえて出てこない言葉のように像が浮かばない。でも、柚菜の頭の奥では、ちゃんと気付いて分かっているみたいなのだ。
(隆仁だ!)
唐突にパズルの断片が浮かぶのだが、あっという間にそれも消えてしまう。
(隆仁のどこがおかしかったの?)
そう思っても、もう出てこない。
もどかしくゴジャゴジャ考えているうちに、柚菜も眠りに入ってしまったらしい。
目を開けると、いつの間にか朝日が差し込んでいて、そうなると昨晩の釈然としない気持ちはどこかへ消し飛んでしまっていた。
(何だったのかしら。)
柚菜は、とても気になるものを感じたのだが、母に
「いつまで寝てるの?」
と、たたき起こされて、柚菜はいつもの日常に引き戻されてしまう。
今日は月曜日。
起きる時間はとうに過ぎていて、早くしないと遅刻してしまう。
「お母さん!何でもっと早くに起こしてくれないのよお。」
時計をみて、ガバッと起き上がって怒鳴る柚菜に
「私も寝坊なの!」
という母の怒声があがったのだった。
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白石かなな