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Novel 
 同時にあることが甦ってきた。
 柚菜達が、まだこの家に引っ越してくる前に、母が体の調子を崩した時に、父が心配して見舞いに来てくれた時の父の様子を。
 あの時、不自然なくらいに父は動揺して、母の元にやってきたのだ。
 柚菜は単に、お互い愛し合っていて、テンションが上がっているから、感情の起伏も激しくなっていると思っていた。
(前の奥さんが、体が弱かったから、その時の感覚が残っていたんだ・・。)
 と、今さらながらに、気が付くのだった。
 体が弱いと、ちょっとした事が、大変な事態になってしまうことがあったのかもしれない。  
 体調を崩しても、すぐに元気になっていた母を見た時の、賞賛のこもった父の目つきを、今さらながらに思い出したのだった。
「そうだったなんて知らなかったわ。」
 と、ささやいている母に、
「わざわざ言うべき事じゃないと思ったんだ。」
 と父が答える。
「言ってくれてもいいのよ。今でも前の奥さんの事を愛してるんでしょ?」
 と、柚菜や隆仁がいるのに、二人の世界に入り込んでいた母は、いじわるな目付きをして父に言うのだ。父は一瞬動揺した顔を見せ、
「君だって、前の夫の事を、まだ想っているじゃないか。」
 と、言い出すのである。
(痴話喧嘩は、二人の時にしてよ。)
 と、柚菜がわざとらしくため息をつくと、父と母はハッとなる。
 二人でハハハと、愛想笑いを浮かべて、その場を取り繕い、見てもいなかったテレビの料理番組の批評などをするのだから、隆仁がクスクス笑い出す。
「何よ隆仁くん。…。」
 と、母が何か言いかけた時、後片付けを終え、いつの間にやら着替えもすませた門田さんがやってくる。
「これで、おいとまさせて頂きますが、何かやり残した事など、ございませんか?」
 と、聞いてくるのだ。父は立ち上がって、
「いえ。これで充分ですよ。あと、庭の方はどうなっていますか?」
 と、話しかけると、門田さんは軽くうなずき、
「ある程度の水遣りはすませておりますが・・。」
 と、首をかしげてつぶやく。
「そうですねえ。今日の分の雑草抜きは、もうしておきましたのでかまいませんが、明日からは、なるたけ毎日なさったほうがよろしいかと思います。」
 と、母の方を見て言うのだ。母は真剣な表情をしてうなずき、
「はい。」
 と返事をする。門田さんは、ジッと母を見つめて、なを何か言いたげな顔つきをしていたのだが、それを振り切るようにして少し頭を振り、
「では、失礼させて頂きます。」
 と、礼をしてクルッと方向転換して、部屋を出て行くのを、父があわててついて行った。自然母も立ち上がって父の後を追い、柚菜も隆仁もそれに続く。
 送るのは玄関先までと思っていたら、父も母も靴をすばやくはいて、庭にでるのだ。柚菜はあわてて靴箱から履きやすい靴を選んで後を追う。
 門田さんは、今まで丹精こめて育ててきた小さな庭を躊躇せずにドンドン進み、玄関アーチをくぐってから、やっと振り返った。
「旦那様。ここまででよろしいですよ。いままでお世話になりました。」
 と、礼をすると、すばやく向きを変えてスタスタ歩いて行ってしまうのだ。
「あぁ…。」
 取り残されてしまった形になってしまった父は、振り返って
(困った人だよ。)と、言いたげに首をかしげた。
「戻りましょう。家に。」
 母が言うのを合図に、一向はぞろぞろもと来た道を戻り始めるのだが、柚菜は何気なく去っていった門田さんの方を見て、ハッとなる。
 なぜなら、すたすたと歩いて行っているはずの、門田さんが立ち止まって振り返り、家を見上げていたのだ。
 その表情は、様々な思いが入り混じっていた。
 今まで柚菜が見たこともない表情が、溢れ出ていて、門田さんをまるで別人のように見せていたのだ。
 この家で体験した、楽しかった事、辛かった事も、すべてが思い出となり、過去になってしまう哀しさや、彼女なりに心配な部分も吐露されていて、柚菜を切なくさせる。
 思いもかけず豊かな感情を見せ付けられ、意外に彼女もロボットではなく人間らしい感情をも持ち合わせていたのだと、今さら気付いたのだが、彼女とは、もう会う事はないだろうと思う。
 そこで、柚菜がある事に気付き、アッと、息をのむのだ。
 門田さんは、もともと病弱だった前の奥さん付きの家政婦だった。
 間違いなく、父がそう言ったのだ。
 そうなってくると、本当だったら、この家にいるのではなく、彼女の側にいるべき人ではないのか?。
 疑問がムクムクを湧き上がってくる。
 前妻がいないこの家に、なぜ門田さんはいたのだろうか。
 そもそも、前妻は、どこに行ってしまったのだろう。
 もし、亡くなっていたとすると、門田さんが、この家にいる理由ができる。前妻の息子が生きているので、彼の世話をしなければならないという理由がたつからだ。
 けれど、家にあった仏壇は、娘一人分の位牌しかなかった。前妻の位牌は置いていなかったのだ。
(前の奥さんは、どういう事情で、この家にいないんだろう。)
 そう心の中でつぶやいた柚菜は、少し後ろ寒い思いがして、肩をだいた。
 家を見上げていた門田さんは、フーとため息一つつくと、シャンと背筋を伸ばし、いつもの彼女らしいキビキビとしたしぐさで、去ってゆくのを、柚菜は見るともなしに見送っていた。
「柚菜ちゃん。どうしたの?」
 先に家の中に戻ろうとしていた隆仁が、玄関アーチで立ち竦んでいる柚菜に気が付いたらしい。聞いてくるのにハッとなって、
「何でもないわ。すぐ行くわよ。」
 と、大声で言い返し、あわてて家の中へ戻ってゆくのだった。


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              白石かなな