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Novel 
  彼の瞳は、すでに柚菜を娘とみなして、包み込むようなまなざしで見つめているのだ。
 思わずクラッとなった。
(大丈夫だよ。ここは安全だって・・。こっちにおいで。)
 唐突に柚菜の頭の中で、声がする、何度でも見たビデオの中で喋っている“パパ“の声だ。
 二人が最後に行った旅行の一シーンだ。柚菜がそう気付いた時には、映像が怒涛のように押し寄せてくるのを、どうする事もできなかった。
 白浜の千畳敷で、撮られたビデオの映像。
パパは穏やかに笑っている。波に削られ幾重にも重なっているかのように見える岩を降りて、波打ちぎわを見下ろし、母を呼ぶ。
 母は身重だ。
(やだ。怖いわ。陣痛が来たらどうするのよ。)
 パパは笑う。
(心配しないで。そうなったら、俺がとりあげてあげるよ。)
 潮風の音を、ビデオのマイクが拾う。幸せな二人の笑い声をも。
 パパは、心配性の母をいつも慰めていた。
 同時にパパが室内で撮った映像も、フラッシュバックする。
(おぉーい。俺の赤ちゃん。元気で生まれて来いよう。)
 声が入り、大きなお腹がアップになる。くすくすと笑っている母の声。
 ジーパンにTシャツ姿でこちらを見ているパパの写真。海辺で若い母とパパが腕を組んで納まっている写真。結婚式の笑顔。
 室内でぼんやりとテレビを見ていて、はたと撮られいるのに気付き、(おい。)と目を見張る姿。
 ビデオに撮られた映像が、少ししかないのは、生まれてくる子供の成長を撮っておくために、新しく買われたためだった。
(パパに会いたかった…。)
 映像と写真だけでなく、パパの感触を直に感じたかった!
(お母さんは、まだいいわ。生きてるパパに触れられたんだから…。)
 溢れる感情を抑えることが出来ず、柚菜はその場を立ち上がった。そして逃げるように離れようとすると、
「ゆず!」
 母のあせった声が、追いかけてくる。が、振り返った柚菜の表情を見て、ボー立ちになる。
「すぐ戻るから。あのすいません。…お手洗いはどこ?」
 たまたま通り過ぎようとしていたフロアスタッフを呼びとめ、場所を聞き出すと、柚菜はそさくさとトイレ目がけて歩いていった。
 個室に入り、…トイレさえも、こういった所ではゲストルームといった按配で、趣向が凝らされている。余裕があったら、目を白黒させていただろうが、今はそんな所を見ているどころではない。
 ヒーターのついた便座に腰掛け、荒れまわる感情を落ち着かせようと深呼吸していると、だんだん気持ちが落ちついてきた。
 野々村彰彦から遠ざかったのも、良かったのかもしれない。
(お母さん。なんて人を見つけて来たの?)
 トイレ内にも流れている静かな音楽に、耳を傾けれるようになってみて、つくづく柚菜は、唸らずをえない。
 柚菜さえ、こんなにもショックを受けたのだ。母が、初めて野乃村彰彦を見たとき、どんな感じだっただろうかと思う。
 これで、母があの人に夢中になった訳がわかった。母だって、野乃村彰彦を見て、パパを連想したはずなのだから。同時に母が、どれだけパパの事を愛していたのかもわかった。
(やばいわ。こんなんじゃ、私まで冷静になれない。)
 ふー。と息を大きく吐き、気持ちを押さえつけようとするのだけれど、うまくゆかない。


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