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Novel 

野乃村一家との食事会の後、母と柚菜には、夢見るような時間が与えられた。
 毎週のように母はおしゃれして彰彦に会い出かけ、そのうちのいくらかは、柚菜も同伴が許された。そして、今までとは全く違った世界に酔いしれる事が出来るのだった。
 その時には、なぜだか隆仁も、その場にいる。
 男の子は十四・五歳にもなれば、親と出かけるのを嫌うという話を聞くだけに、隆仁の姿には、違和感を覚えたものだった。
 けれど、彼の母を見る視線に気付き、すぐさま疑問は解けるのだった。
 小さい時に母親を亡くした隆仁は、彼なりに“母親“というものに憧れのようなものを感じているようで、明らかな憧憬に満ちた視線を、柚菜の母に向けていたのだ。
 母も慕ってくる隆仁を、それなりに可愛いく思うようだった。
 そうなってくると、現金なもので、自分だって彼の父親に対して憧れているのに、隆仁に嫉妬の感情が芽生えてくるのだった。
 そんな小さな感情の動きを飲み込んで、四人の生活は、順調に再婚に向けて準備が整えられていった。
 まずは、再婚後は、母と柚菜が、野乃村の家に入る事が決まった。
 そして柚菜の学校の問題は、現在は3年生なので、とりあえずは校区内の、公立の中学に通い、そこから受験して、私立高校に進むというレールが引かれた。
 結婚式は、お互い再婚同士であるので、取り止めとなり、新婚旅行のみは二人で行くことになる。式場のパンフレットを数多く取り寄せていた母の落胆ぶりは、見るにあまるものがあったが、柚菜はたいして気にはならなかった。
 そうやって、日々は忙しく過ぎてゆき、当時はつくづく何も分かっていなかったのだと、柚菜は後になって思い返すのである。
 親子二人で暮らした時の時間が、どれだけ緩やかに過ぎていて、幸せであったかという事を、わかっていなかったのだ。
 鳥の巣のような雑多なものが溢れていて、のんびりとした空気が、流れていた当時のことを。
 懐かしく、戻らないあの時間を思い出すたびに、暖かな空気が流れているのを実感するのである。
 とにかく、時間は止まってくれない。柚菜達には野乃村家に入る未来が用意され、それに向かってどんどん流れてゆくのだった。
 はじめて四人が会った食事会から、ほぼ二ヶ月後、柚菜と母は連れだって野乃村家に招かれるようになった。
 母も、なぜだか一度も、家には招かれた事はなかったらしい。
 この時の母の服装は、柔らかいニット生地のトップスと、細かなプリーツの入ったロングスカートをはいていた。薄紫色のカーデガンをはおり、化粧はあくまでナチュラルで、顔色を明るく見せる工夫のみ。そのナリはすでに奥様だ。
「これから、私達が住む所ってどんなとこかしら。」
 と、期待に胸を弾ませている母を尻目に、柚菜は自分達が立つ、野乃村家の最寄の駅を、しみじみ見つめていた。
 何ヶ月ヶ後には、柚菜達はこの駅を利用するようになるのだ。
 高架になった駅は、まだまだ新しく、整備されて、おしゃれな店が周囲に散らばっている。駅から見える町の雰囲気は、明るい。
 この辺りは、瀟洒な家が並ぶ一等地の住宅街だ。
 自分達が住んでいる町とは、全然違う。
 団地がひしめき合い、近所の工場の排気が空気を汚染するため、ほとんどの建物の外壁は、煤けた色に染まってゆく。
 準工場地帯に分類された町と、風紀の良い、あくまで住宅に適されたとみなされる地域とを見比べてみると、その違いは歴然としたものがあった。
 地理の授業で、住宅の区分について、何げなく教わっていたことが、しみじみと柚菜の実感として湧き上がってくる。
「あっ。彰彦さん!」
 駅の改札口にやって来た彰彦に、先に気付いた母が手を振って、彼に呼びかけた。
 彰彦は、まぶしげな表情で、母に気付くと途端、顔を輝かせた。嬉しそうな顔で近寄り、一瞬母と見つめ合う様は、柚菜が照れるくらいのアツアツぶりだ。
「遅れてごめんよ。家は、歩いて十分くらいの所にあるんだ。歩いた方が、場所が分かりやすいと思って、車には乗ってこなかったんだけど…。」
 彰彦の方の服装もスーツではない。ポロシャツにスラックスといういでたちで、家からちょっと買い物に。という感じだ。柚菜と彰彦が、軽く会釈し合っていると、
「もちろんよ。家の周囲も見ておきたいわ。スーパーもチェックしとかなくっちゃ。」
 と、母の返事。
「今日一日で、そんなにいろいろしなくってもいいんじゃないかい。くたびれちゃうよ。まあ、とにかく。行こうか。」
 彰彦と母が先に立ち、柚菜がその後ろを歩く形で、三人は野乃村家に向かって歩いてゆく。
 駅を抜けた柚菜たちが、ショップ街を抜けて、住宅街を歩くと、整備され、充分なくらいにスペースをとられた家々が建ち並んでいた。
 車2台は当り前の世界だ。それぞれ趣向をこらされた庭や家などや、逆にコンクリートで外壁を囲み、防犯対策充分の家もわりと見られた。そんな家々を、目を見張って見つめていると、
「僕の家は、こんなに豪勢じゃないから、誤解しないでね。この辺りは、古くからの地主の人達が住んでる地域で、見てるだけで、目の保養になるんだ。」
 と、彰彦が母に言っているのを耳にし、柚菜は心なしかホッとする。
 柚菜にしてみれば、こんな風な家だったら、住みにくくて仕方がないだろうと、思ったのだ。
 三人は、軽く雑談しながら、右に左に曲がり、そしてついに、彼の家の前までたどり着いた。
「わあぁ!」
 思わず、母と柚菜は二人して、感嘆の声を上げるのだった。




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