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Novel 
 パッと見た感じの家の大きさは、彼が言ったとおり、小ぶりで、先ほどみてきた高級住宅とは比べるまでもない。
 この家が建ち並ぶ一帯の住宅は、ごくごく新しくできたらしい住宅街のようで、柚菜のすむ団地の周囲にだってよく見る、5LDKほどのタイプの家だ。
 柚菜達がびっくりしたのは、家の大きさではない。
 小さな庭と、凝ったつくりの玄関アーチにまで、咲き乱れているバラの花々と草花に、仰天させられたのだ。
 鍛鉄製で、美しい曲線を描く門扉のアーチには、つるバラの「アンジェラ」が絡まり、小さなピンク色の、かわいい花弁を見せている。
 ガレージは、玄関とは別の方向にスペースが取られてあり、バラ園ともいえる小さな庭を邪魔していない。
 バラを栽培するのが趣味の母親がいる友達がいて、その子から半ば強制的に、レクチャーを受けさせられていた柚菜からみても、圧巻なのは、とにかくこの庭にあるバラの量だ。
 「チャイコスキー」や「グラハム・トーマス」「ザ・ナン」「ナニワイバラ」などが、当たり前のようにさいているのを目にするのだ。
 それ以外にも、春の草花のパンジーが今だに咲いていたり、チラッと見ただけでも、「アイビーゼラニウム」「ロベリア」などの、様々な草花が咲き乱れている。
 さわやかな陽光に照らされて、草も青く、花々もみずみずしい色彩を伴って、目にさしこんでくる。
 柚菜達がアングリ、口を空けて立ちすくんでいると、
「この庭はねえ。僕からしても、ちょっとした自慢に入るんだ。」
 と、彰彦は言いそえ、だからといって、延々と自分の庭の自慢話はしない。
「さあ。中へどうぞ。」
 と、さっさと二人を中へ誘導し、なぜだか玄関のベルを鳴らすのだった。
 ベルの音は、ピンポーンではない。カランカランと、鐘の音が鳴り響いてゆくのだ。
 玄関は、圧倒的な質感をもって迫ってくる庭とは違い、シックな装いだ。クリーム色の外壁に、木目をいかした木の扉がしつらえてある。
(彰彦さんって、バラの栽培が趣味なんだ。)
 意外だった。バラは手入れが大変で、時間も費やすというイメージがあるだけに、フルに仕事をこなしている彰彦が、趣味にしているなんて、柚菜は思いもよらなかったのだ。
 エプロンをして、スコップや、害虫取りのピンセットを手に持ち、せっせと作業する彼の姿を想像して、ほほえましく思った。
 しかし、柚菜のそんな想像は、あっさり打ち砕かれるのである。
 彰彦がベルを鳴らしたのは、柚菜達に鐘の音を聞かせるためではなく、中にいる人に自分達が到着した事を、知らせるためのものだった。
 カチャと、扉の鍵が開く音がし、
「お帰りなさいませ。」
 と、中から一人の女性が出迎えて、丁寧にお辞儀をするのである。
 白いエプロンをし、手も足も不必要に長く、角ばったイメージを持たせる女性で、頬骨が高く、感情のうかがい知れない能面のような顔つきにも、柚菜はびっくりさせられた。
「旦那さま。今日の分の庭の水遣りは、たっぷりしておきましたので、今晩くらいはなさらなくても大丈夫だと思います。」
 と、慇懃にもとれる対応は、見るからに家族ではない。
「あぁ。いつもありがとう。このお二人が、前に説明した武田さん親子です。そして、この家の家事一切を切り盛りしてくれている家政婦の門田さん。」
 前半は、門田さんに。後半は柚菜達に。彰彦が紹介すると、門田さんは、無表情のままで会釈する。
「武田良子と、柚菜です。よろしくおねがいします。」
 柚菜親子だけが、門田さんに挨拶の言葉を述べ、チラッと視線で返すだけの彼女から、無言の圧力のようなものを、感じさせられるのだった。
 そして、門田さんの言葉によって、庭の手入れは彰彦ではなく、家政婦の彼女によってなされているものであるのに、柚菜は気付くのだった。
 柚菜は少しガックリする。
「お食事の用意も、しておきました。私は もう帰っていい。とお聞きしておりますが。」
 三人分のスリッパ出しながら、門田さんが問うのを、
「そうだった。門田さん。今日はいろいろ準備に大変だったけれど、おかげでなんとかなりそうですよ。また明日。お願いします。」
「かしこまりました。明日はいつもの時間でよろしゅうございますか?」
「ええ。おねがいします。」
 彰彦が答えると、門田さんはゆっくり一礼して、それからは、さっときびすを返すと、奥に入っていってしまった。
 思わずホッとする柚菜達に、
「とっつきにくい人だけど、根はいい人なんだ。さあ、どうぞ。狭い家ですけど。」
 と、彰彦はコソッと母に、耳打ちしてくる。彼女の無愛想加減はよく知っているようだ。
(どうしよう。家政婦がいるなんて、聞いてなかったわ。)
 心の中でつぶやて、柚菜は母を見てみると、母も困ったような表情をしている。
 同意見のようだ。
 しかし、門田さんがいなくなると、改めて家の内装が、目に入ってくるのは仕方のないことだった。
 靴をぬぎ、スリッパを履こうとして、柚菜はキョロキョロ見回してしまうのである。
 まず、中に入って印象に残ったのは、何もない。ガランとしている。という感じだろうか。
 玄関ホールは広くとられ、掃き清められている。靴が一足たりとも置いていない。
 あがりかまちに足をおいた瞬間、あまりにひんやりしているのにびっくりするのだが、シンと静まり返っているこの場所には、ピッタリの冷たさだ。  
 ホールの左側にはデンと大きく、存在感を出している靴箱が目に入った。その上には一輪挿しの花が生けてあるのみ。それ以外全く何もないのだ。
 外の生気溢れる庭とは対照的なのに、柚菜は戸惑わされた。
「隆仁も待っているよ。」
 と、彰彦が母に話しているのを耳にして、柚菜はハッとなり、あわててスリッパをはいて、二人の後を追う。
 むく材らしい廊下は、磨きこまれて光っていた。ここにも余計なものは一切、見当たらない。
「いらっしゃい。思ったより遅かったね。」
 廊下を抜け、リビングへのドアを開けた彰彦の肩越しに、隆仁の声が聞こえてくる。
「わかりやすい道で行ったんだ。次に来る時に、分からなくなっちゃったらいけないと、思ってね。」
 彰彦が答え、母と共に入ってゆくと、なぜだか母は、一瞬足を止め、軽く仰け反るのだ。
「さあ、どうぞ。我が家へようこそ。」
 彰彦が柚菜達の方に振り返り、腕を広げて言う姿に、柚菜も正視できなかった。
 なぜなら、目前にいる二人越しに見えたダイニングキッチンは、陽の光が差し込んでいて、部屋全体が、白く輝いていたのである。




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              白石かなな