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 クラッと一瞬めまいがした程。
 廊下が暗かったので、そうなったのだろうが、柚菜はすぐさま体勢をたてなおした。中に入ってゆくと、彰彦たちに笑顔を返し、
「わあぁ。きれいなお部屋。」
 と、感嘆の声をあげる。
「いやあ。築20年近くは経ってるからねぇ。あちこちガタがきてるよ。」
 彰彦の言葉に、今度は母が、
「20年!」
 と、仰天した声をあげた。
 とてもそんなに経ってるようには見えない。
 ムク材の床は、廊下からリビング、対面キッチンまで続き、陽の光を受けてさらに輝いていた。キッチンは、流しから食器棚からテーブルから、すべてホワイトで統一され、美白というくらいに光っている。
 新品といっても充分通るだろう。
 対面キッチンのすぐ横の白いテーブル(その時は、純白のテーブルクロスが敷いてあったので、厳密にはその時は柚菜には分からなかったのだが、後でテーブルも白い色をしているのに気付くのだった。)には、すでに溢れんばかりの料理が載っていた。
 オードブルには、定番のクラッカーに、クリームディップが小さな皿に盛ってある。ガラスのボール大皿にはイタリアンサラダ。テリーヌや、海老のマリネが所狭しと並び、中央にはデンと塊のローストビーフが切らずにおいてあるのだ。
 テーブルの横のワゴンには、何かのスープらしい陶器の入れ物と、お玉。バスケットにはフランスパン。白と赤のワインと、子供用にはジュースが用意されてあり、それらはたっぷりの氷の中で冷やされていた。
 柚菜は、それを見ただけで、お腹がグーとなるのを感じた。
「テーブルのスペースには限りがあるからね、すべて大皿から取り分けるバイキング方式でいかせてもらうよ。さあ、せっかくの料理も冷めてしまうから、席について。」
 彰彦に急かされる形で、柚菜達は席につき、てきぱきとスープを盛る隆仁と、ワインやジュースを注ぐ彰彦をぼんやり見つめ、言われるままに乾杯をすませるのだった。
 そして、大人達はお酒も入った事もあり、なごやかな雰囲気の中で、食事は進んでゆく。
 すべての料理は呆れるくらいに美味しく、彰彦が手馴れた様子で、切り分けたローストビーフは格別に旨い。目を丸くして母が
「門田さんに、教えてもらわなくっちゃ。」
 と、口々に褒め称える柚菜達に、上機嫌の彰彦が
「それを聞いて安心したよ。人によって、料理の好みは全然違う場合があるからね。この味付けで、満足してくれたら基準は一緒だよ。僕も安心だ。これで、味付けに関しては、言い争わなくてすむね。」
 と、言うのだ。母は引きつった笑顔で返している。
 なぜなら今、口にしているメニューは、明らかに普段のおかずと違うものだし、誰でも美味しく頂けるような、濃い目の味付けにしてあるのだ。
(これを基準にするって、毎日こんなものを彰彦さんたちは、食べているわけ?)
 と、柚菜だって、思ったぐらいだった。
 そんなわけないだろう。柚菜はその考えを、すぐに打ち消した。
「ところで、柚菜ちゃん。勉強の方はどうだい?」
 と、いきなり彰彦に、唐突に問いかけられて、むせそうになる。味付けがどうとかいうのは、そこで吹っ飛んでしまった。
「あの…。やっぱり高校から入るのは、一般入試では難しいと思います。でも推薦入試で受けれたら、何とか…。」
 と、何とも情けない言い方に、なってしまうのだが、事実なのだから仕方がない。
 H大付属高校は、人気が高く、幼稚園からのお受験からして、激烈な競争が繰り広げられているので有名なのである。
 そんな学校へ、高校から入るのは、当然狭き門なのだ。
「もし、必要なら、塾に行くのも方法だよ。今まで柚菜ちゃんは、塾に行かなくてもそこそこ成績が良いんだから、塾に行って、集中して勉強すれば、何とかなるんじゃないかな?…うちももう少し経済的に余裕があれば、なんとかしてあげれるんだけれど・・。」
 と、裏口入学?を暗に匂わせる言い方をして、彰彦が申し訳なさそうに言うのを、柚菜は恐縮して
「塾なんて、…そんな事までして頂かなくったって結構ですよ。ただでさえ、これからの学費とか、いろいろ掛かってしまうのに。」
 と、答えるのだった。彰彦は、そんな柚菜を誇らしげに見つめ、
「さすがだね、柚菜ちゃん。でも、無理はいけないよ。これからは、どんな事でも、僕にも相談してくれたらいいから。」
 と,言ってくれたのを、柚菜は感動の面持ちで聞いていた。何としてでも自力でH大付属高校に合格しなければならない。と、思っていただけに、そう言ってもらって一気に気持ちが楽になったのだった。
「がんばります。」
 柚菜が、決意も新たにつぶやくと、彰彦は例のパパに似た笑顔でうなずくのだった。彰彦達と暮らせるこれからの未来は、この部屋のように、明るい。
 柚菜は、とても幸せだった。
 希望に満ちているように、思ったのだった。
「ところで、良子さん。家政婦の門田さんの件なんだけれど、家に二人も主婦はいらないと思うんだ。良子さんが家に入ってくれるのと同時に、門田さんには暇を出そうかと思ってるんだが…。」
 と、彰彦が言うと、隆仁がアッと声をあげた。
「ちょっと待ってお父さん!
 こう言ってはなんだけど、…門田さんはスーパー家政婦だよ。いきなりこの家に入って、良子さんが同じ様に出来るとは思え…。」
「それは失礼だと思うがね。良子さんだって、スーパーお母さんじゃないか。子育てに仕事に家の事、すべて一人でやってきたんだぞ。それに、良子さんは、門田さんのやっていたやり方すべてを真似る必要はないとは思わないか?」
 と、彰彦に遮られて、なお隆仁は
「でも・・。」
 と、言い募ろうとするのだけれど、
「家のことは、彼女たちも交えて、相談してゆけばいい。そうやって家族になるんじゃないか。」
 と、彰彦がごもっともな意見を、繰り出してくると、彼はサッと、表情を変えた。
 一瞬、さまざな感情が入り混じり、別人のような顔つきになるのに、柚菜はあっけにとられて見ていたのだが、それはほんの一瞬のことだった。
 元の、爽やかというか、悪くいえば気の抜けた表情になると、
「それもそうだね。お父さんがそういう風に考えているんだったら、僕も反対はしないよ。良子さんはどうなのかなあ。」
 と、母を見るのだ。母はとまどった笑みをもらし、
「うぅーん。どうかしら。確かに彰彦さんが言う通り、家には主婦は、二人もいらないとは思うのよ。ただ、この家を、ここまで綺麗に整えれるかしら。」
 と、つぶやく。すると彰彦は首を振って、
「そんなに構えないで、良子さん。君にも主婦を、やってきたキャリアがあるじゃないか。当たり前の事をしてくれればいいんだから。大丈夫だよ。」
 と、言ってこられて、母はまた引きつっった笑みを浮かべて戸惑うのだった。しかし、何かを決意したようで、うん。と一人うなずくと、
「まあなんとかやってみるわ。これからは専業主婦になるんだし、彰彦さんお手柔らかにお願いしますよ。」
 と、頭を下げると、彰彦もペコリと、頭を下げるのだ。




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