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 あ然となって、思わず後ずさり自分の部屋に戻ろうとするが、、喉のかわきは、我慢できる状態ではない。
 仕方がないので、柚菜は心の中でエイッと気合を入れてドアを開け、リビングに入っていった。
「あっ、柚菜ちゃん。調子はどう?。」
 柚菜が入ってきたのに先に気がついた隆仁が、対面キッチンから顔を出して聞いてくる。ボールでかき混ぜる作業は終わったようで、手には何も持っていない。
「うん。ありがとう。もうだいぶマシになったわ。」
 答える柚菜に、門田さんもキッチンから姿を現し、
「喉が乾いてらっしゃいませんか?お茶でもどうです?」
 と、柚菜の欲求を的確に察する門田さんが問いかけてきた。
「お願いします。汗をかいたんで・・。」
 柚菜が頼むと、彼女はそっけなくうなずいて、キッチンに入ってゆく。
 先ほどの和やかな空気が、見事に消えうせてしまっているのだが、隆仁はそんな事などおかまいなしといった感じで、軽い笑顔を浮かべて、
「お父さんと、お母さんは、もう出かけちゃったよ。起こしちゃかわいそうだってお父さんが言ってたし…・おみやげ何かあったら、今のうちだと国内だから、携帯つながると思うよ。」
 と言ってくるのを、柚菜は首を振った。
「別に何もいらないからいい・・。あっありがとうございます。」
 柚菜は隆仁に返事をし、そこでちょうどお茶を持ってきた門田さんには礼を言った。
 門田さんが持って来てくれたお茶はよく冷え、一気に飲み干すと、生まれ変わった心地がする。
 コップをキッチンに持って行った柚菜は何となく居心地の悪さを感じで、早々にその場を後にしたのだった。
 部屋に戻り、エアコンをかけ、早速整理にかかる。
着ない服、使わない物のほとんどは、捨ててきたので、今手元にある柚菜の物は、とても少ない。それでもあれこれ収納を考えていると、ふぃにドアをノックする音がした。
「はい?」
 柚菜が返事すると、
「お昼、できているんだけれど、食べれる?」
 と、隆仁の声。ハッとなって時計を見ると、午後一時を過ぎている。
「ごめんなさい。すぐ下に降りるわ。」
 柚菜が答えると、隆仁はドアを開けずに
「わかった。門田さんに言っておくよ。」
 と返事が返ってきて、その場を後にしたようだった。
 柚菜はあわてて作業を中断し、ドアを開けて下に降りると、誰もいない。テーブルの上には、冷めてしまったホットサンドが、ポツンと乗っていた。
 柚菜はなぜだかホッとするのを感じ、インスタントのコーヒーを入れると、黙々と食事をすませるのだった。
 冷めてしまっているせいなのか、それとも一人で食べているせいなのか。美味しいはずのサンドイッチもあじけない物に変わってしまう。
(まだまだ、この家は私の家になってないんだろうなあ…ああ、お母さん。早く帰って来てよう。)
 と、初日からそう思い、母のいない一週間を思い、ガクッと肩を落とす柚菜なのだった。
 とにかく、野乃村家での生活は、そんな感じでスタートし、柚菜にとっては隆仁と、門田さんの三人の生活は、どうも居心地の悪いものだった。
 まだこの家では居場所がなく、友達もいない柚菜には、自分の部屋にこもるしかなく、自然勉強ばかりになる。
 おかげで恐ろしくはかどったのだが、父と母が帰って来た時は、やっと親鳥が帰還したかのように柚菜は大喜びしてしまい、気恥ずかしい思いをしたのだった。
 新婚旅行は、楽しかったらしい。
 帰宅して、その晩は門田さんが作った食事をみんなで食し、父と母が浮かれたように話す内容を肴に、久しぶりの四人の会話を、満喫するのだった。
 父と母は、山のようにお土産を買ってきてくれていた。
食後は荷物を解きがてら、それらを出して見てゆく。
 隆仁にはサングラスを、柚菜には、ロベール・クレジュリーの履き心地のいいサンダルを買ってきてくれていて、二人でお礼を言っては、ハモってしまい、笑いを誘ったりもした。
 なごやかな雰囲気の中で、あっという間に時間がすぎて、さすがに深夜二時頃になると、父と母が、眠そうな顔になってくる。そこで、何気なく隆仁が
「そろそろ寝ようかな。」
 と言うのを合図に、それぞれ自分の部屋に戻って行く。
 朝起きてみて、母がこの家にいるのだと思うと、今まで感じていた居心地の悪さが嘘のように消えていて、柚菜はつくづく母の存在というものを、考えさせられたのだった。
 まだまだ真夏の暑さはやわらいでいない。
 けれども爽快な心持ちで下に降りると、顔を洗う。そしてキッチンに入ってゆくと、門田さんがいた。
 朝食を作っている彼女を見て、(あれ?門田さんは昨日までじゃなかったっけ。)
 と、意外に思ったのだ。
 契約は父と母とが帰るまでだと思っていた柚菜なのだが、門田さんを雇っているのは、柚菜ではない。そう思いなおして、
「おはようございます。」
 と、声をかけると、柚菜が下に降りてきたのに気が付かなかったらしい。門田さんがハッとなって、横で見ていてもわかるぐらいにびっくりするのだ。
「ああ、びっくりしましたよ。おはようございます。…・お食事のほうは、もう少しお待ちくださいね。」
 と、柚菜の姿を認めて、門田さんが言ってくるのを、
「いえ。私はみんなと一緒に食べますので、みんなが起きるのを待っています。早く出さなくてもいいですよ。」
 と、答えると門田さんは、相変わらずの無愛想な顔つきで、コクンをうなずき、キッチンに入ってゆく。
(やっぱり、この人の対応って、いやな感じ。)
 思うものの、この人に惑わされるのも、後もう少しのはずだ。
 そう思った柚菜は手持ちぶさたなので、リビングのソファに腰かけ、手元にあった新聞を、読むでもなく読む。
 柚菜と対面側にある、どっしりとした木製のソファの、ふくろうの文様を見つめていると、ふいに門田さんがやってくるのだ。
「お嬢様。今日でお世話させて頂くのも、最後でございます。隆仁ぼっちゃまのこと、くれぐれもよろしくお願いしますよ。」
 と、一方的にまくしたてて、柚菜の顔をジッと見るのだ。あっけにとられていた柚菜なのだが、返事を待っているみたいなので、
「…はい。」
 と、とりあえず答えると、門田さんはうなずいて、その場を離れてゆく。しかし、柚菜の返事が不本意だったようだ。
 少し首を振って、肩を落とす姿を見て、彼女なりに、この家から離れるとなると、気になる事があるのだと思う。
(それが、バラの手入れじゃなくて、隆仁のことなんだ…。)
 父の事は言葉に出てこなかったのは当然だろう。この結婚は、父が決めた事なのだから。
 けれども、隆仁も母を慕っているし、柚菜も彼の事を嫌いではない。
(すっかりなじんでいると、思うんだけどなあ・・。)
 と、ぼんやり考え事をしていると、当の隆仁が姿を現した。大きなあくびをしながら
「おはよう!」
 と声をかけて、門田さんと、柚菜だけしかいないのに気が付くのだ。
「あれ?まだお父さんもお母さんもまだなんだ。」
 と、部屋を見回す動作が、いかにも能天気な雰囲気をかもし出していて、
(絶対、人に気にかけてもらわなくたって、やっていけるタイプよ。彼は。)
 と、心の中でつぶやいたのだった。


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              白石かなな