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 そして、柚菜達がみても分かるくらいにオロオロしだす母を、冷静な表情で見下ろし、
「この生年月日が事実ならば、38歳じゃおかしい事になる。41歳だね。」
 と、まるで判決を下すかのように宣告するのだ。
「そっそうなのよ。少しサバを読んじゃって…。でも、きちんと言うつもりだったのよ。3歳若くいっただけ…」
「38歳と41歳とでは、全然違うだろう。」
 父は、また母が言っている話の途中で口を挟む。その言い方は、一方的で、相手の言い分を力ずくでねじ伏せる迫力があった。
「…受胎率って知っているかい?
 女は40代に差し掛かると、卵子は劣化してゆくっていう説があるのを・・。受胎率そのものも下がって妊娠すら、しにくくなるらしいんだよ。」
 そこまで言って、母がその話は初耳とばかりに首を振るのを見つめた父は、大きくため息をついた。
「信じられないね。普通、結婚しようとする女ならば、それくらいリサーチしていても損にはならないと思うがね。
 ひょっとして、君はもう40を過ぎているのに、産婦人科すら行ってなかったのかい?
 一体、家の中にいて、何をしていたんだ。
 掃除洗濯だけが、主婦の仕事じゃないだろう。」
 たたみかけるようにして話す父の言葉は、これ以上ないくらいに侮蔑が込められていて、柚菜でさえ縮みあがったほどだ。
「ごめんなさい。・・ちゃんと言わなかった私が悪かったわ。明日、病院に行ってきちんと調べてきます。それで、異常があるかないか。調べて・・。」
「だから、普通は結婚する前に検査しておくべき事じゃないか?って言ってるんだ。…本当に、この結婚は正しかったのか正直考えなきゃいけないかもね。
 仕事の合間に、戸籍をとったおかげで、段取りが狂ってしまったよ。
 …・仕事を途中で切り上げてきたんでね。二階で残りをするから。ご飯は1時間後ぐらいに用意してくれ。」
 と、父は、一方的に話をして、アッという間にキッチンを出ると、二階に上がって行ったのだった。
 残された母と柚菜は、台風のように行過ぎていった父の姿に衝撃をうけて、しばらくその場を動けないありさまだったのだ。
 シーンと静まりかえった部屋で、ジッとしていると、柚菜は悲しくなってきた。
 初めてみた父の激昂した姿に、ショックを受けたのもあった。
 母をなじったひどい言葉の数々が、意外にも柚菜達とはあまりに価値観が違うことを見せ付けられ、どう整理を付けたらいいのか分からない。
(産婦人科にいくべきだの、40を過ぎたら卵子が劣化するだの、ひどすぎやしない?)
 心の中で、叫び声を上げる。
 今まで慕っていた人の、思いもかけないくらいの、容赦しない言葉を見せ付けられて、
(なぜ、お父さんは、あんなにお母さんを傷つけるような言い方をするの?
 なせ、あんなにも人を侮辱する必要があるの?)
 と、感情がついてゆかない。
 自然、涙が出てきて止まらなくなってしまった柚菜の肩を、母は抱き寄せ、
「大丈夫よ。お母さんがきちんと年齢の事を言わなかったから、悪かったの。
 ちゃんと謝っておくから。すぐに元のお父さんに戻るわよ。
 ねっ。心配いらないから。柚菜、泣かなくても大丈夫。」
 と、母の方がショックを受けている筈なのに、柚菜の背中をポンポン叩いてあやすのだ。
 この背中ポンポンは、柚菜が小さい頃から、不安に思ったり、怖い夢を見た時など、
よくやってくれていたあやし方だった。母の温かな胸の中で背中ポンポンされると、たちまち柚菜は安心したものだった。
「お・・母さん・・こそ、大丈夫?」
 しゃくりあげながらも、柚菜が問いかけると、母はニッコリ笑って、
「お母さんは、大丈夫よ。怒ったお父さんを見るの、初めてじゃないんだから。
 なんとも思わないわよ。」
 と、言うのだが、瞳は落ち着きなく揺らぎ、血の気が引いて真っ白な顔色になっているのだから、大丈夫なわけがない。
 柚菜はこれ以上母を見ていられなくて、母の胸元に顔をうずめて嗚咽をこらえるのだった。



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              白石かなな