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Novel 

 あの後、ひとしきり泣いた柚菜を、落ち着かせた母は、
「ちゃんと、お父さんに謝ってくるわ。」
 と、言って頃あいを見ては、二階に上がっていった。
 そして、食事の予定の時間になっても二人は降りてこない。不安になった柚菜が上にいこうとした時に、二人がやっと降りてくる。
 父は、先ほどの怒りの感情はどこに置いてきたのかと思うくらいに機嫌が直っていて、柚菜をびっくりさせた。
 母は父の機嫌を損ねたら大変とばかりに、大急ぎで料理を並べていった。ビールとつまみも取って出し、みんな席に着くと、
「頂きます。」
 と、手を合わせて箸をとる頃には、いつもの和やかな団欒風景に戻っているのだった。
 柚菜はそんな父の変わりように、戸惑うのだが、母と父が何事もなかったかのように振舞っている様を見ているうちに、あまり事を蒸し返して気分を悪くさせる必要もないだろう。と、思いなおしたのだった。
 その夜は、何事もなく更けてゆく。
 次の日から、母の産婦人科通いが始まったのだが、なぜだか柚菜も病院についてゆかされた。
 お腹の大きい女性や、小さな乳幼児を連れた母親や、その他様々な年代の女性だけが待つ待合室で待っていると、なぜか柚菜は露骨な視線を浴びるのに、不思議に思う。
 その視線はあまり気持ちのいいものではなく、
(ひょっとして、私。妊娠しているか、性病にかかっているかと、思われているわけ?)
 と、ハタと気が付いて、憮然となったのだった。
(診察してもらうのは、母の方ですよ!)
 と、聞かれてもないのに、言って回りたい気持ちになるのだが、それは言葉には出ない。
 独特の居心地の悪い気持ちで、モジモジしながら母と共に待合室で待った。
 婦人科は内科ではないので、診察のみではない。内診や、その他様々な検査を何日かにわたって行い、結果異常なし。と出て、母を安心させた。
 ただ、基礎体温表をつけることは、勧められたらしい。
 共に、排卵予定日の算出や、病院に行ったことにより、軽い不妊治療も始める話を受けて、柚菜をびっくりさせたのだが、
「たいしたことじゃないのよ。基礎体温の指導と、排卵日を教えてもらったりするだけなんだから。」
 と、説明されて、
「なんだか大変そう・・。」
(たかが子供を作る事に、そんなに必死にならなくてもいいじゃない。)
 と、思った柚菜がつぶやくと、
「病院の指導に沿ったほうが楽じゃない。すぐにもかわいい赤ちゃんを、柚菜に見せれるわよ。」
 と、明るい表情で言うので、柚菜はそれ以上何も言う必要はないと思ったのだった。
 とにかく、年齢詐称問題は、母がきちんと産婦人科医の指導のもとに不妊治療を行う事で解決し、その後しばらくは平和な日々をすごしたのだった。
 とはいえ、生活パターンの違う家族が一緒に暮らすのは、そこそこに苦労が伴った。
 だいたいは、母と柚菜が野乃村家の習慣に合わせる形で生活をしてゆくのだが、全部を合わせる事はできない。どうしても長年のクセは、抜けない。
 家事をしてゆく上で、掃除の仕方や、物の収納の仕方は、母のやり方になってしまうのだが、父はそうゆう所を決して見逃さなかったし、許す事はなかった。
 いや、一応父は、話し合いと称して、母を同じテーブルにつかせはするのだ。
 しかし、そこで自分の言い分を、一方的にまくしたてて、母の同意を求めてゆく。
 反対しようものなら、いかに自分のやり方が合理的で、無駄がなく、問題のないことを主張し、母がうなずいてはじめて、相談は終了する方法をとったのである。
 母はもちろん、柚菜もまさか父が、こんなにも自分の考えを、押しつけてくる人だとは、思わなかった。
 父のやり方に翻弄された。
 気が付いたら、その様になってしまっているのだった。
 ある時など、母が何気なしにテーブルに物を置いていると、
「良子。テーブルの上に、雑誌やペンやメモ用紙を置くと、邪魔になるだろう。」
 と、さりげなく母に言ったりする事があった。
「そうかしら、すぐ取れる所に置いておくと、結構便利なのよ。」
 母が答えると、
「見た感じが、悪いぞ。テーブルの上には、何も置かない方がいいと思わないか?。」
 と、詰め寄ったりするのである。
 母は、眉をひそめて
「でもねえ。」
 と、納得しかねているのに、父は
「この部屋には、テーブルの上に物を置いておくのは、見栄えが悪い。」
 と、言って、その件は終わったとばかりに、違う話題を持ってきたりするので、その件はうやむやに、なってしまった。
 しかし、父の頭の中では、テーブルの上の件は、『物を置かない。』という事に決まっていたらしかったのである。
 後日、帰宅した父が、テーブルの上に、再び物がのっているのを見咎めるのだが、母は「こっちの方が便利よ。」と言い返すと、露骨にイヤな顔をした。
 テーブルの上に、物を置くか置かないかの小さな言い争いは、当然母よりも父の方に不満のボルテージが上がる出来事になっていったらしい。
 父の怒りの火蓋が切られるのに、たいした時間がかからなかった。
 その日は、帰った時から父の機嫌がもともと悪く、ピリピリした雰囲気を全身に漂わせてはいた。
 いつも以上に気を使う母だったのだが、父の目線がテーブルの上の書類に向いた時に、まるでシャンパンの栓を抜いたかのように、感情の大爆発が起こった。
「お前、いつになったら、テーブルの上に物を置かなくなるんだ?」
 いきなりテーブルをドンと叩いて叫ぶ父に、母は、ビクッと体を震わせて飛び上がる。


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              白石かなな