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Novel 
 「なぜ?」
 彼は今一体なんていったのだ?
 父の言う事が全く理解できなかった。
 なぜ、テーブルの上に物を置く置かないで、別れ話にまで進んでゆくだろうか。
 話の展開の早さについてゆけない母と柚菜に向かって、父は吐き捨てるように
「もういい、話にならん。」
 と、言うとプイッと顔をそむけて、二階に上がってしまうのである。
 残された母の顔色が、みるみる青白く変色してゆくのを、柚菜はどうする事もできなかった。
 落ち着かなげに、あちこち視線をさまよわせ、唐突にエプロンを取り去ると、母は走ってゆく。
(どこに行くの?)
 不安になって、柚菜が後追いかけると、母に怒鳴りつけられた。
「ついて来ないで!」
 顔面蒼白の母は、そう言い捨てて、階段を上がってゆく。遠ざかってゆく足音は、父の後を追い、主賓室に向かっていったようだ。
 取り残された柚菜は、一人立ちすくんでいると、ふいに横に立つものの気配がする。びっくりして振りかえると、ちょうど外から帰ってきた様子の隆仁だった。
「どうしたの?」
 けげんな顔つきで聞いてくる隆仁に、柚菜はどう説明したらいいのか分からない。
「お父さん、お母さんと別れるって言うの…。」
 とだけ言うと、柚菜の中で不安が形になって表れてくる。
(この家を、追い出されたら、私達。どこに行ったらいいの?)
 感情を抑え切れなくなって、みるみる涙がこみ上げてくる柚菜に、隆仁は、ギョッとした顔をして、オロオロしだし、
「口に出して言ってるだけだよ。大丈夫だから。」
 と、何とも根拠のない言い方を、する隆仁なのだ。
「だって、すごく怒っていたもの。どうしよう・・。」
 手で顔を覆って混乱し、つぶやく柚菜の肩を、おずおずとしたしぐさで抱こうとし、手を引っ込めてしまう隆仁に、柚菜は気付かない。
 ひとしきり、泣きじゃくっていた柚菜なのだが、泣いていても事態は治まらないと思い、柚菜は顔をあげる。
 そして、母が走っていった階段の上部を見上げるのだった。
 今頃母は、父に何と言っているのだろうかと思う。
 父のあの調子だと、母が何を言っても耳を貸さないだろう。
(お母さんの事だもの。前みたいに謝っているのかもしれない…。)
 ひたすら謝る母の姿を想像して、柚菜は胸が締め付けられるような痛みを覚えた。
 まんじりとしない面持ちでジッとしている柚菜に、隆仁は
「リビングで待っていよう。」
 と、さりげなくうながしてきた。
 柚菜は言われるままにうなずき、リビングに移る。
 二人してジッとして、どれくらい時間がたったのだろうか。
 二階からの足音にはっとなって、顔を上げると、目を真っ赤にさせた母が、リビング入ってきた。柚菜に気付き、ニッコリ笑顔を向けてくるのだが、ぎごちない。
「おとうさん。別れるのはやめとくって言ってらしたわよ。ちゃんと謝ってきたから。大丈夫よ。」
 と、肩を落とし、泣きはらした瞳で言ってくるのだ。
(やっぱり、謝っていたんだ。)
「お母さん。なぜ謝るの?悪い事してない…・。」
 柚菜は言いかけて、言葉を失う。父にひたすら謝って、精根尽き果てたようにたたずんでいる母の様子に、それ以上の負担を負わせるわけにはいかないような気がしたのだ。
 そんな柚菜を尻目に、母はふいに思い出したらしい。
「そうだ。お父さんが降りてくる前に、整理しとかなくっちゃ。」
 と、一人つぶやくと、ものすごい勢いでテーブルの上の雑貨や、チェストの上に置いてある書類をしまってゆく。
 柚菜は、なすすべもなく母の様子を見守るしかなかった。隆仁も心配そうな顔つきで母を見つめているのだが、言葉がでないようだ。
 母がすべての物をしまい終えたちょうどその時、スリッパの音が近づいてきて、父がドアを開けて入ってきた。
 父もきまりわるげな顔つきをしており、つかさず母が、
「夕飯、出来ているから。ちょっと待っていてね。」
 と、言い、
「ゆず、ボサッと立ってないで、手伝ってちょうだい。」
 と、呼びかけられて、ハッとなる。あわてて柚菜もキッチンに入り、ほとんど出来上がっていた料理を温めなおし、皿に盛ってゆくのだった。
 食事のセッティングをすませ、みなが席についた後もしばらくは、ぎごちない雰囲気が流れるものの、母や隆仁がわざとらしいくらいに明るい話題をもちかけたりするうちに、父の表情も笑顔が見られるようになる。
 まるで、みなで舞台の上で仮面をかぶって演技しているかのような食事風景になってしまったのだが、それも家族が何とかやっていこうと、努力している姿のようにも柚菜には映ったのだった。
 この日はそうやって、何とか別れ話は、母が謝って事なきを得たのだった。


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