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 半年して、少しは慣れた野乃村家の慣習は、きれいに整理整頓するにはいいものの、きちんとしすぎて、肩が凝るのが多すぎた。
 柚菜はため息一つ、つくと、落ちた髪の毛を拾ってゆくのだった。
 それから、父が帰ってくるまでは、柚菜のすることといえば、階段の雑巾がけや、目に付く様々な所を拭いて過ごすのだった。
 毎日あちこち拭いているので、拭く所がないように思えるのだけれど、父の鋭い視線にかかると、まだまだ掃除しきれていない部分が見つかるのである。
 ちょっとした汚れを拭き取ったりするのは、いつのまにか柚菜の仕事になっていて、食事の用意や、きまった家事に振り回されている母には、到底できる事ではなかった。
 とにかく、息をひそめるようにして、ウロウロ歩いていてしばらくすると、カランコロン。と、馴染みのある呼び鈴の音がした。
 すぐさま、もの凄い勢いで母が廊下をかけてゆき、ドアを開ける音がする。
「お帰りなさい。」
 母の明るい声が響き渡った。
(王様のお帰りだわ。)
 いつものように、父が帰ってきた時に感じる事を、柚菜は心の中でつぶやく。
 王様のご機嫌を損ねないように、母や柚菜や隆仁が全力で、奉仕しなければならない時間の始まりだった。
 柚菜は、父の姿が見えないうちに、二階に上がってゆき、隆仁の部屋のドアをノックし、
「お父さん、帰ってきたわよ。」
 と、ささやくとすぐにも
「わかった。」
 と、短い返事が返ってくる。柚菜はウンと一人うなずくと、バタバタと一階に降りてゆき、リビングのドアを開けると、ソファーに腰掛け、すでにもう軽く部屋着に着替えて、ゆったりとくつろぐ父の姿と、スーツをハンガーにかけながら、満面の笑みで父に微笑みかけている母の姿が目に入った。
「お帰りなさい。お父さん。」
 柚菜が話しかけると、父は柚菜に気付き、
「ただいま。」
 と、軽く返して来る。うっすら笑みを浮かべているその表情から、今日は機嫌のいい日だと察しがついた。
 父の機嫌の良し悪しで、家の中の雰囲気がガラリと変わり、些細な事が引き金となって、家庭が破滅しかねないくらいに、大問題と化するので、要注意なのである。
「今日は、炊き込みご飯と、お魚と、煮物なんだけれど…。」
 ご機嫌うかがいとばかりに、控えめな調子で母が父に聞くと、
「魚?」
 と、父の片方の眉が上がる。
「毎日、肉ばかりじゃ、体に悪いから、今日はお魚の日なのよ。」
 あわてて母が説明し始めるのを、
「ずっと肉ばかりじゃなかっただろう。…まあいい。お腹が空いてるから、それでもいいよ。」
 と、ため息をついて、立ち上がる。ソファから立ち上がるのを合図に、柚菜もキッチンに向かう。
「お魚でも、新鮮な金目鯛が手に入ったから、煮付けにしたの。美味しいと思うわよ。」
 と、文句を付けられて、諦めがつかないらしい。母が言いながら、キッチンに入ってきて、
「ゆず。お父さんにビールを出してちょうだい。」
 と、ささやくのと同時に、
「魚は魚だ。」
 と、つぶやく父の声がする。その一言に、母は振り返って、
「そうよね。魚は魚だわ。あまりお魚のメニューにしないほうがいいわね。」
 と、答えるのだった。
 柚菜はビールとつまみをお盆に載せ、テーブルにまで運び、父の目前に置く。
 いつの間にか、隆仁がやってきて、椅子に座っており、
「お父さん。模試の結果だけれど・・。」
 と、言って隆仁は、手に持っていた用紙を差し出すのである。
(なぜ、わざわざ渡すの?)
 柚菜は、一瞬気が遠くなりそうになる。模試の件は、なかった事にしたかったのに、隆仁も、柚菜と同じく全国模試を受けていたのを、すっかり忘れていたのだ。
(隆仁に、あらかじめ言っておけば良かった…。)
 思ったのだが、もう遅い。隆仁の方は、いつも通りに成績が良かったのだろう。
 成績の事は、触れられたくなかったせいで、そさくさとキッチンに逃げていった柚菜の背後で、
「この調子だ。がんばるんだぞ。」
 と、父が答えている声が、聞えてくる。キッチンに戻ると、母はすでに一品を鉢に盛り終えていて、
「ゆず。その煮物を持っていってちょうだい。」
 と、言いつけるのである。思わず、違う用事を見つけようとするのだが、何もなく、仕方なくお盆に鉢をのせて、テーブルに置いてゆくのだった。


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