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 隆仁は、試験の用紙を自分の部屋に持っていったのだろう。テーブルには、父しかいない。
 新聞を読んでいるので、今の時点では、父は柚菜の試験の結果を聞く気には、なっていないようだ。柚菜は少しばかりホッとし、キッチンに戻って、母の手伝いをしてゆくのだった。
 父が新聞を読みながら、晩酌をする間に、母と柚菜は、手際よく夕食のお膳立てをしてゆく。
 ほどなくして、戻ってきた隆仁を交えて、
「頂きます。」
 と、箸をつける頃には、父は軽く酔いも混じって、気分良く食事を始めてゆくのだった。
(とりあえず、食事を始めるまでは、これでOKね。)
 父の様子をさりげなく見て、柚菜が心の中でつぶやいて母を見ると、母もうかがう目つきで、父をソッと見つめていた。
 野乃村家での絶対条件その1。
 食事中では、気分を害することをしない。
 思わせない。
 父が話そうとしている時に、無駄口をたたかない。
 などがあった。
 父が離婚だ。だの、出てゆけ。等、騒ぎ立てる事になる時は大抵食事中が多かった。母が言い返したり、柚菜達が父を差し置いて、話したりすると、当然の様に、父は怒った。
 父に言わせてみると、食事中は、ゆったりリラックスして楽しみたく、イライラさせられたり、ガサゴソ騒がしいのは、もっての他であるらしいのだ。
「今日のメニューはどうかしら。昨日はコッテリしていたから。」
 控えめな調子で、母が聞くと、父は箸で煮魚をほぐしながら、
「いいんじゃないか?」
 と、返事して初めて、母は安心した顔をする。
 これも以前父に、食事のメニューが気に入らず、一生こんな飯を食わせる気か!と、怒鳴られた事があったためだった。
 結婚して半年もたつのに、今だに父の好みを把握し切れていない母は、毎日のように、お伺いをたてないと、いつ文句を言われるかもしれない。と、心配で食べた気がしないらしいのである。
 食事に『可』をつけられた事によって、やっと食欲が出てきたらしい母は、父にニッコリ微笑みかけながら、今日あった些細な出来事などを、話し始めた。
 父もその他愛のない話を、半分も聞いているのかいないのか、適当に相槌をうつものの、お酒を片手に持ち、母を見つめる視線には、例えようもないくらいに、愛しい者を見つめる愛情が、籠められている。
 その父の視線を浴びながら、母も父を見返す瞳にも、“愛”があった。
 しかし、柚菜はある時に、その母の視線に、飼い主を見上げるように、機嫌をうかがう媚のようなものが、含まれているのに気付き、ゾッとしたものを感じたのだ。
 こんな視線は、今までの母にはなかったものだった。
 柚菜と二人きりで過ごしていた頃の、母一人で子供を抱えての、不安定な肩越しにかいま見えた、誇り高くまっすぐに、前を見つめていた母の瞳にはないものだったのだ。
(その目付きはやめて!)
 と、心の中で叫び声を上げた。
 そんな母を、柚菜の中で受け入れるのは、難しいものがあった。
 けれども、同時に柚菜はある事を思わずにはいられない。


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