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(お母さん・・。)
 少し安心するが、先ほどの腹立ちが舞い戻ってきて、
「お父さんに言われたから、言っているの?」
 と、つぶやくと、母はハタで見ていてわかるくらい、びっくりして仰け反るのが、暗闇でも分かった。
 照明を付けたまま眠ってしまったのだが、母が消してくれたらしい。
「起こしちゃった?違うわよ。お父さんは明日早いから、もう寝てるわ。…・お父さんがいる時、お母さん、気を使いすぎて、訳が分からなくなってしまっているの。それでゆずにも迷惑かけているってのも、自分でよくわかっているつもり…。
 ごめんね、ゆず。」
 力なく語りかける声色に、柚菜は起き上がって
「今のお母さん、おかしいよ。前はこんなじゃなかったじゃない。人のご機嫌ばっかり伺って…自分の意見がなくっているの、気が付かない?」
 と、たたみかけるように、言ってゆくと、母は軽く息を吐く気配がした。多分、苦笑しているのだろう。
「お母さん、電気つけてもいいよ。暗くてよくわかんないから。」
 柚菜が言うと、
「そうね。」
 と、返事があり、立ち上がって照明のスイッチを押す。
 ライトがつくと、暗闇に慣れていた目がチカチカした。
 そして何気なく、目前の母を見て、びっくりしたのだ。
 毎日一緒に過ごしていると、見ているようで見ていなかったのだとしみじみ思う。
 身なりをかまう暇もなく、生活してきたせいか、母はすっかり変わっていた。
(お母さん、こんなにやつれていた?)
 と、思うほどで、つやのない髪の毛を無造作にくくり、肩を落とし、力のない瞳で柚菜を見つめている母は、別人のようだった。
「この家おかしいよ。お母さん、そう思わない?
 チリひとつ落ちていてはいけないとか。ご飯の事だって、お父さんに100パーセント合わせた料理を作らなければいけないとか・・。」
「今まで、二人の生活だったから、柚菜はそう思うのね。
 どこの家庭でも同じよ。違う生活観を持った者同士が一緒になるんだから、相手のちょっとした家風みたいなものが、変に感じたりするの。
 何年かしたら、当たり前になるわよ。私達の家風と、野乃村家の家風が混ざり合って、自然になってゆくから・・。」
「私達の家風を、野乃村家の色に、染め直す。でしょ。」
 柚菜がつぶやくと、図星だったようで、母は息をのんだ。
「私のパパと暮らしていた時どうだったの?こんな感じに、『俺に合わせろ!』だったの?」
 さらに畳み掛けると、母は合わせた手をさすりながら、少し考えこむかのように、首をかしげた。
「…そうね。ゆずのパパも、散らかっているとイヤな顔をしたわ。でも、この家ほどじゃなかったわね。」
「そうでしょ!お母さん、この家にいたら私達、自分らしい感情とか失くしてしまうわ。
 今でも、息が詰まってる。
 隆仁を見てよ! あの子、お父さんや私達の前では、見事に仮面をかぶってしまって、本性を見せなくなっているもの。
 私達も、そうなってるのよ。家族に自然な表情を見せない家庭って…そんなのおかし過ぎるわ!」
 柚菜が言い切ると、なぜだか母は、うっすら笑みを浮かべるのである。
「な、何よ。」
 動揺してつぶやく柚菜に、母は柚菜の肩をポンポンと叩き、
「すごいわ、ゆず。もうそんな事を感じてしまうなんて…ゆずも大きくなったわね。
お母さんの自慢の娘に育ってくれたって、今ので思うわ。」
 なんて言うものだから、ひょうし抜けてしまう。
「そうじゃなくて…この家はおかしいって私は言いたいの。このままじゃ、私達までおかしくなってしまう…。」
「大なり小なり、みんなおかしな所を持っているものなのよ。そこの所をおかしい、おかしいばかり言ってると、どの人とも一緒にはやってゆけないわ。
 家の中が、綺麗に整理整頓されて、掃除がゆきとどいている方が、いいじゃない。散らかっていて、ゴミ溜めのようになっている家よりも…。
 ゆずも、お友達の家に行ったりするでしょ?
 そこのお家はどう?そこそこに散らかっている家もあれば、ピカピカに綺麗にしているお家もあるでしょ?」
 言われて、柚菜の中で浮かんだ何人かの友達の中で、幾人かの家の中が、モデルルーム並みに、余計なものを置かずに、綺麗な家に住んでいたりするのを、思い浮かべたりするのだった。
 その時は単純に、綺麗な家を見て憧れたりしたものだが、実際日常的に美しさを追求するとなると、どれだけの苦労が伴うかまでは、連想できなかったのである。
(あそこのお母さんも、大変な思いをして、あの家を維持していたんだわ。)
 そう思って、黙り込んでしまった柚菜に、
「私が悪いのよ。まだまだ家の事きちんとできないから・・・。ゆずにも迷惑かけて・・。
 この家は、私達が暮らしてきた環境とは、かけ離れているから、お父さんもいろいろ口に出さずにはいられないみたいなのよ。
 たまに言ってるわ。『俺に小姑みたいな役を、させないでくれ。』ってね。
 今が一番苦しい時かもしれないわね。慣れてきたら、もっと要領よく出来るようになるだろうし、こんなものだと思うようになるわよ。」
 と、母は言って、柚菜の頭をポンと叩き、ヨイショと一声かけて立ち上がるのである。
 見上げる柚菜に、母は疲れたままの笑顔で見返し、
「お母さん、今までよく一人で柚菜を育ててゆけた。と、思ってるのよ。
 あちこち抜けてしまっている子育てをしてきて、ゆずは変な子に育たなくって良かったって…。
 いい子に育ってくれてるのが、お母さんには救いだと思っているもの。
 それに、家の事をするのがイヤだからって、この家を出てごらんなさいよ。
 家事さえ満足に出来ないこんな私が、外に出て勤まるわけがないじゃない。
 ゆずだって、高校にすら、入れてやれないわ…。」
 と言うが、返事を期待したものではなかったらしく、あっけにとられて固まる柚菜を尻目に、
「じゃあ、遅くにごめんね。おやすみ。」
 と、つぶやくとドアを閉め、部屋を後にしてゆくのである。
 後に残された柚菜は、ボー然となって、しばらくその場を動けなかった。
 肩を落として出て行ってしまった母の力ない後ろ姿が、目に焼き付いてはなれない。
(自信を失くしてしまっているんだ!)
 柚菜はつくづくそう思った。
 自信をなくしているだけではない。心も疲弊していて、考える力さえなくしてしまっている。
 (それにお母さん。『家事さえ満足に出来ないこんな私が、外に出て勤まるわけがないじゃない。』って、言ったって・・。)
 再婚するまでは、パートとはいえ、母は仕事をして、生計をたてていたではないか。その事実を、忘れてしまっているのだろうか。
 もちろん父のようには稼ぐことはできなかったし、今のような生活レベルではなかった。狭い団地に押し込まれるようには、暮らしてはいた。
 料理も一品のみの時もあった。整理整頓もきっちりしていたわけではない。
 だからといって、失格だというくらい、自分を卑下しなければいけない事なのか?
 柚菜は声にならない叫び声をあげて、ベットに突っ伏した。
(やっぱり、おかしいよ。
 いくらお父さんに愛情があるっていっても、自信をなくして、自分らしい感情をなくしてしまっているようじゃ、ダメなんじゃないの?)
(どうしたらいい…どうしたら、昔のお母さんに戻ってくれるの?)
 自分の無力さに、悔し涙があふれ出て来る。
(二人で生活していた頃に戻りたい…。)
 柚菜は、はじめてこの時、そう思ったのだった。



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              白石かなな