MAIN

Novel 
(隆仁もそうだったの?)
 そこまで思って、柚菜はある事が心の中から湧き上がってくるのを、驚きをもって感じとっていた。
 一瞬気が遠くなる。
 初めてこの家に招待された日の事。
 門田さんに暇を出すと言った父に、珍しく異議を唱えた隆仁。
『良子さんが家に入ってくれるのと同時に、門田さんには暇を出そうかと思っているんだが・・。』
 当時の父の言葉が、ありありと柚菜の頭の中で思い浮かぶ。
『ちょっと待って、お父さん!
 こう言ってはなんだけど、…門田さんは、スーパー家政婦だよ。いきなりこの家に入って、良子さんが同じように出来るとは思え・・』
『それは失礼だと思うがね。良子さんだって、スーパーお母さんじゃないか。子育てに仕事に家の事、すべて一人でやってきたんだぞ。それに、良子さんは、門田さんのやっていたやり方すべてを真似る必要はないとは思わないか?
 家の事は、彼女たちも交えて、相談してゆけばいい。そうやって家族になるんじゃないか。』
 と、言った父の言葉に、隆仁がサッと顔色を変えた。その表情がおかしかったのだ。
 今、わかった…。
 その時の感覚は、失くしていたピースの一つが見つかって、小さな絵が完成するかのような感動を伴った。
 あの時の彼の表情・・。
 ほんの一瞬で、いつもの彼の表情に戻ったのだけれど、あの時はさまざな感情が入り混じり、別人のような顔つきになっていた。
 いつもにこやかな、悪く言えば気の抜けた笑顔がトレードマークの、彼らしからぬ感情が見えていた。
 彼の中で、どの様な言葉が浮かんでいたのかまでは、柚菜には分らない。けれども、父に対して不満を持っていたのだけは、眉をひそめ、口をゆがめた表情からして、想像するくらいはできた。
 柚菜だって、今同じ言葉を聞いていたら、『家の事は、彼女達も交えて相談してゆけばいい。』という言葉には反発を覚えるだろう。
 実際、柚菜達の意見が反映される生活など、用意されてはいなかったのだから。
 あの時の隆仁の表情に、柚菜の心が無意識のうちにも違和感を感じていたのだ。
 だからあ眠る前に、どこかがおかしいと思ったのだった。当時は、どこがおかしいのか、分からなかったのだけれど。
(そういうことだったんだ・・。)
 あの時、浮かんだ表情が、唯一ともいえる、本当の彼の感情の吐露だった。
(自分の意見を素直に言えないなんて・・・。)
 そう思うと、柚菜はガクッとうなだれてしまう。
 今までそうだと思っていた隆仁像が、崩れてゆくのを感じるのと同時に、この家にいる限り、自分の感情を素直に出せない。にこやかな笑顔を張り付かせた生活を送るのだと、つくづく思った。
(この家を出たい…。)
 思うものの、母がこの家を出る決心をしない限り、柚菜には出て行く自由がない。
(一度、お母さんに言ってみよう。)
 心の中でつぶやくと、柚菜はベットに横になるのだった。
 一気に力が抜けて脱力感が襲ってくるのに、どうしようもなくなってしまったからだった。
 そしてその夜、ベットに横になったまま、眠ってしまった柚菜にそっと語りかけ、頭をなでている手に気付く。
(誰?)
 心臓が飛び上がるくらいにびっくりし、とっさに動けないでいると、
「ゆず、ごめんね。」
 と、一人ささやいているのは、母だったのだ。



                 back              next
next
Skip to top




http://book.geocities.jp/siroiie/index.html

              白石かなな