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 ありったけの内容物を吐き出してから、涙の浮かぶ目を拭き、掃除機がまだ彼の部屋に残っているのに気付く。
(あの部屋に入るのはイヤ!隆仁は…・異常だわ・・。)
 それからしばらく、ショック状態が続き、柚菜は掃除どころではなくなってしまったのである。
 そして、その後柚菜は、風邪で寝込んでいる母の枕元に座り、
「この家、出ようよ。」
 と、話かけるのである。母が今、話を聞ける状態ではないのは、わかっているのだけれど、話をせずにはいられなかった。
「この家はおかしい。体調が整ったら、二人で出て行こうよ、」
 と、たたみかける様にして言うと、
「なぜ?」
 と返してくる。その時の母の表情。病室で見せた、あの能面のような表情。柚菜は勇気を振り絞って言ってみた。
「この家にいては、私たち幸せになれないわ。」
(お父さんは、お母さんの事を、愛してないのよ。)
「それに、隆仁も変なのよ。腐ってゆく死体の写真を、パソコンの画面で出しているんだから。」
 真ん中の言葉は、さすがに口には出せなかった。
 切羽詰った表情で語りかける柚菜に、母の能面の表情がゆらぐ。
 母の中での葛藤が、垣間見れた。
「ごめんね柚菜。」 
 母の言葉はこうだった。
「あの子が変なのは、前からお母さんも知っていたわよ。
 その件はとにかく、お母さん。このまま出てゆくのには、納得行かないの。
 こんなやられっぱなしの生活・・・。柚菜ごめんね。」 
 言って母は辛そうな表情で、目をつぶるのである。
 今は苦しい。もうこれ以上この話題はしてくれるな。という意思表示に、柚菜はこれ以上問いかける事は出来なかった。
 納得いかないってどうゆう事?
 納得いかなければ、こんな生活やめればいいのに・・・。
 風邪が治った後も、母は暗い情念を引きずって、一日一日を過ごしてゆく。
 そしてある時、気が付くのだ。母は父に復讐をしている。
 父の前では、優しい顔を向け、その手で掃除の時に出る塵やほこりをさりげなく、父の食事の膳にふりかけたり、古いご飯を碗に持ったり・・・。
 父は、母の家事を一切手伝わず、お茶さえ母に入れさせているから、気が付かないのだ。
 世話してもらう者の悪意の恐ろしさを・・・。そして母を、こんなものにさせた父を、柚菜は憎んだ。
 柚菜も父の前では笑顔をたやさなかった。
 父の言葉に「はい。」とうなずきながら、表向きは、素直ないい子であった。
 人の意見を聞くつもりのない者には、わざわざ話す必要はなかった。
 「はい。」と返事をする心の中では、父の言葉を頭から否定していた。父なりの愛情を、受け入れることを拒否していた。
 表面上は、何の問題もないように見える、四人の家庭像。
 しかし、中はすでに破綻していた。家族の誰も、お互いを見る事なく、時間だけが過ぎてゆく。
 そんなある日、公園で、時間をつぶしていた柚菜は、子供達と一緒に遊ぶ母親達の話を、聞くでもなく耳にしていると、
「昨日の旦那、うざいんだよ。突然帰ってくるんだから。予定が全部狂っちゃってさあ。」
「ああ、それあるよね。うちなんて、雨降ったら仕事なくなるから、邪魔なんて程じゃないわよ。」
 と、言っているのである。
「さゆりの所はいいじゃない。いるだけでも。私の旦那、仕事仕事で、ほとんど家のいないんだよ。」
 と一人の母親が言うと、
「いなさ過ぎるのも、困るよねえ。」
 とコメントが入る。
「昨日、旦那と喧嘩して、今日の弁当の中身、思い知れって感じの弁当なの。」
「私もそれやるよ。私なんか、喧嘩した次の晩は、雑巾で茶碗を拭いてやるわ。」
「それ凄いすぎぃー。」
 母親達の声がハモる。
「やってやれー。!私なんか、子供と私の布団はきっちりたたむけど、亭主の布団いい加減にするもの。何で俺の布団はこんなだ?って、聞いてくるくらい。
 美香!
 ダメよ。高い所に登ったら、キョロキョロしない!落ちたら危ないでしょ。」
 一人の母親が、滑り台の所まで、大急ぎで走ってゆくと、まだ2・3歳の女の子が、キョトンとした顔付きで、台の上で立っていた。
「ママここにいるから、滑ってきなさい。大丈夫よ。」
 手を差し伸べ、子供に向ける表情は、聖母の表情だ。
 母親達も、穏やかな顔付きで、彼女達を見守っている。
「ママー。お城だよ。」
 砂場で遊んでいた男の子が、ふいに語りかけてくる。
「すごいじゃないー。正和。大きなお城できたねえー。」
 彼の母親らしき人が、ニッコリ笑って答えると、男の子は、誇らしげにコクンとうなづいた。
「さっきの話だけどさあ。マリの場合、やばくない?」
 と、話している口、口、口。
 子供をあやし、聖母の表情を浮かべる女性と同じ口から、夫への呪詛の言葉が出る。
 柚菜は、ゾッとして公園を後にする。
(あの人たちも、お母さんと一緒だ…。)
 早足で、どことなく歩いていると、息が切れてくる。動悸がする。
 気が付いたら、高台にいた。下にはたくさんの人が生きる息吹が満ち溢れ、こだまするのだった。
(私、絶対結婚なんかしない!)
 柚菜がそう心に誓った時、血のような赤い夕日が、空を覆いつくしていた。


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