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Novel 
 そして何日かすぎたある日。
 母は歌を歌いながら、あらかじめに作っていた晩御飯の一品のお椀に、日頃見ないボトルの中味を、傾けて入れているのを、目にするのである。
 ボトルのラベルには、『飲むと危険。除草剤』と書いてあるのだ。
「お母さん!」
 柚菜は、びっくりして母の側に駆け寄り、除草剤のボトルを叩きおとした。
「お母さん。いくらなんでも、これはダメじゃん。」
 言いながら、お椀ごと一品もそのまま、ゴミバケツに投げ捨てる。
 母は、柚菜のそんなしぐさを、ボンヤリと見ているのだ。
 肩で息をしている柚菜とは、正反対だ。据わった目付きで見返す瞳には、力がない。
 髪の毛は潤いなく乱れ、目は生気なく落ち窪み、やつれてしまっている母を見て、柚菜はつくづく思った。
 暗い想念に沈められてしまった母の心は、端で見ていてもすさみ、容貌まで老けさせてしまっている。
(これじゃ、おばあさんじゃない。)
「…お母さん。今自分は何をしようとしていたか、分かってる?毒を盛ろうとしていたんだよ。
 お父さんを殺した後、どうするつもりなの?警察はバカじゃないわ。
 バレて、殺人のレッテルを貼られて、刑務所で人生過ごすことになるんだよ。
 あんな男のために、自分が堕ちる必要がないじゃない!」
 柚菜は、声の限りを張り上げて叫ぶ。
(お願い分かって!)
 母の肩をつかみ、必死に訴える柚菜の姿に、母の瞳は、ふと揺らいだ感じがした。
 一拍おいて、
「あぁー。」
 と、母はうめき声を上げた。
 その声は、だんだん大きくなってゆき、今まで聞いたことがないくらいの、大きな叫び声につながってゆくのである。
 瞳にみるみる涙があふれてくる。
「ゆずぅー。ごめんねぇー。
 そうよね、あんな男の・・ために・・堕ちる必要なんて・・ないよねー。」
 泣きながら母は、もの凄い勢いでしがみついてくる。
「そうだよ、お母さん。この家から出よう。ね。そうしよう。」
 白い家に奉仕させられ、すっかり痩せ細ってしまった母の肩をさすり、柚菜がそっと語りかけると、母も声には出さないものの、小さく何度もうなずくのだった。


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