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Novel <第四章>
(隆仁は死んでいたんだ。…・じゃあ、一緒に暮らしていた彼は何者?
 ひょっとして、さらってきたの?)
 恐ろしい考えがよぎり、柚菜が心の中でつぶやいた時、
「俺だけは、息を吹きかえしたんだ。」
 と、ふいに後ろから声がして、びっくりするのである。
 振り返ると、いつからいたのだろう。隆仁が、うっすら笑顔を浮かべて立っているのだ。
「ママは、力いっぱい締めたつもりでも、どこかで手加減していたのか、それとも単に力が足りなかったのか、わからないけれどね。
 俺はこうやって生き返ってしまった。
 不思議な事なんだけれど、その時の記憶は、鮮明に覚えているんだ。
 ママの瞳。遠ざかる意識…。
 病室で、目を覚まして,ママがもう生きていないんだ。とわかった時の、喪失感・・。」
 そこで、隆仁はフッと笑う。
「意識が遠ざかる寸前に、見たんだ。すばらしいあの世らしきものを…。
 死ぬのは怖くないんだよ。
 みんなに助かってよかったって、言われたけれどね。俺は、ママと一緒にあそこ逝きたかったくらいだった。」
 言った隆仁の瞳…。
 うっとりと、憧れるような眼差しで、宙を見上げる瞳には、恐怖感などなかった。
 体ごと隆仁が、どこかに行ってしまうような不思議な感覚を、柚菜に感じさせるのである。
(隆仁だっておかしい!)
 柚菜はそれこそ、その場にいれなくなって、隆仁を突き飛ばす勢いで、走り去って行った。
 二階に上がり、なだれ込むようにしてベットに横になり、深呼吸をするのだが、頭の中では、嵐のように先ほど目にした写真や、DVDの映像。隆仁の言葉が荒れ狂い、柚菜を混乱に陥れるのである。
 ベットにじっとして、どれくらいの時間がたったのだろうか。
 すべての情報が、なんとか収拾がつき始め、
(奥さんは、自殺していたんだ。そして、娘さんは、事故死だった・・。)
 と、今さらながらに確認するのだった。
 そして全体が像として、柚菜の中で治まりだしたように、思えてきた時、ベットから跳ね起きるほどの衝撃が走った。
 あることに思い至るのである。
(この家。前の奥さんがいた時と同じ!)
 バスルームで撮られた一枚の写真。
 父が二人の子供と共に浴槽で、ポーズをとっていた写真。
 純白のタイル張りに、広めにとられた浴槽。滑らかな曲線を描く、金色の蛇口と、同じ色のシャワーへッド。金の縁取りの鏡。
 前の妻が、ソファでくつろいでいる写真では、ふくろうの彫り物がしてある、どっしりとした木彫りのソファと、クッションが写っていた。
 コーヒーカップを片手に、首を傾げる奥さんの周囲に、陣取る白いキッチンは、今も父の思い通りの食事を作るべく、母と柚菜が格闘している場とほぼそっくりである。
 そして、見事にさきほこるバラ園。園芸用のエプロンをし、剪定ばさみを持っている彼女の顔色は、とても良かった。生き生きとした瞳の瞬間を、捉えていた。
(あの庭は、前の奥さんのものだったんだ。)
 白い家は、当時からそっくりそのまま、存在していた。
 父は、前の奥さんがいたその時のままに、保存していたのだ。
 それは柚菜達が、家に入った後も変わらなかったのである。
 リホームまでしたのにも関わらず…。
 柚菜は、我知らず、ゾッとするものを感じた。
(子供部屋までは、さすがに違っていたけれど、ほとんど同じ・・。)
 柚菜の中で、ある考えが自然浮かんで来る。
 けれども、その考えは、柚菜はもとより、母の立場になって考えて見れば、とても耐え難いものだった。即座に打ち消してしまいたいくらいに…。
(辛すぎる…そんなの辛すぎる…。)
『あの娘に出来なかった事を、僕は君を世話することで、罪滅ぼしをさせてもらっているような気持ちになるんだよ。』
 以前父が、柚菜に言った言葉が甦ってくる。
『初めてなんだ。良子さんに出会うまでは、思いもしなかった。一緒にやって行こうと思える人に、再びこんな風に出会えるなんて思いもしなかった…。』 
 昔の幸せだった生活とそっくりな人生を、送れるであろう女性に、再びめぐり合えるなんて、思いもしなかった…。
 そうゆう事だったのだ。
(私達は、前の妻と娘の代わり…・。)
 父の中で、娘が不慮の事故で亡くしてしまってから、家族の歯車が狂いだし、突然逝ってしまった妻までの事を、思い切ることが出来なかった。
『娘や、前の妻の時のように、ならないように…。』
 今度こそは、昔のままの幸せを、取り戻す。
 彼はその時、そのままの心の内にある言葉を口にしていたのだ。
 そう感じると、今まであったことが、すべて収まりよく、きれいな絵となって、柚菜の前に広げられてくる。
 母に問答無用なくらいに、要求を押し付けてきた父。
 妻としての鋳型を押し付け、そこからはみ出す母の個性、情念を切り捨てさせたのはなぜ?
 父は、あくまで過去の妻を見ていたために、起こった事だったのだ。
 過去とは違う部分は、父には用のないものだった。
 赤ちゃんを流産した時の、父の言葉も、そう考えると理解できる。
『子供さえまともに生めないのか。この役立たず。』
 と言った言葉。
 子供だけは、大きくなってしまっている柚菜では、代用しきれなかった。
 だからこそ、受胎率がどうとか、不妊治療を始めなければならない。などと、異様に強く子供をつくる事を要求してきたのだ。
 母は父の要求とおり妊娠した。
 月満ちて生まれてくるはずの、失った子供を取り戻せるはずが、失敗に終わってしまった。
 また父の手から小さな命が、通り過ぎていってしまったのだ。
 その時の父の無念はどんなだっただろう。
 子供を生めない妻は、その時彼にとって、用のないものになってしまった。
 さすがに、父は後で考え直し、母の機嫌をとってきたのであるが、母自身を見ていない父の元では、幸せにはなれない。
(お父さんは、お母さんを愛していない。)
 心の中でつぶやきながら、自然涙が出て止まらなくなる。
(私達は、幸せにはなれない…。)
 その現実を、認めるのは、あまりに辛い事だった。

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